自我とエゴ

 

ヤスコです。

早いもので、1月もあと少し。

2月4日の立春を迎えたら、もう春ですね。

過ぎゆく時間を大切に過ごしたいものです。

 

先日、すやすやと眠る赤ちゃんを見ました。何と穏やかで幸せそうなのでしょう。見ているこちらもつい微笑んでしまいます。

 

あ〜、自我がないってこういうことかあ〜、と、なんだか急に腑に落ちました。

 

 

赤ちゃんは、眠って、お腹が空いたらおっぱいやミルクを飲み、おしめを変えてもらい、満たされたら満足して、またすやすやと眠りにつきます。

 

自分の欲求は、生きるための最小限のもの。それ以上を必要としないでいる。そうすると、こんなにも満たされるのかあ。。。

 

あれ?

自我=エゴって言われるけど、違うのじゃないかしら?

ふと疑問が湧き上がりました。

 

赤ちゃんは成長するにつれ、「イヤイヤ!」「自分はこうしたいの!」という欲求が生まれます。自我の芽生えです。

 

これを世間では反抗期といいます。よく考えたらこの言い方がよくないのかも知れませんね。大人から見たら、こちらの思う通りにしてくれないから「反抗」なのでしょうが、子供にとってはごく自然の欲求なのですから。

 

「自分は、これが好き。これが嫌い。こうしたい。これはしたくない。こう感じる。だからこういう学びをしたい、こういう仕事をしたい、このような生き方をしたい…。」これが自我の欲求です。

 

そこが、

「自分は、これが好き。これが嫌い。こうしたい。これはしたくない。こう感じる。だからこういう学びします。こういう仕事につきます。こう生きます。」となったとたんに、意味が違ってきます。

 

ヨガで例えてみましょう。

 

ヨガには様々なポーズがあり、その中でもバランスのポーズは難易度が高いでしょう。

逆さまになり頭でバランスをとる「シルシャーサナ」というポーズがあります。

 

「シルシャーサナができるようになりたいなー」と思うのは自然なことです。

 

しかし、「絶対にシルシャーサナをできるようになってやる!」と思ってしまうのは、ちょっと違います。

 こういう考えでいると、「〇〇さんはできるのに、私はできない」とか、そればかり練習しすぎて怪我をしてしまうとか…、問題が生じてきます。(これこそエゴが問題を引き起こしている!)

 

私も、かつては一生懸命に「シルシャーサナをできるようになってやる!」と練習をしていましたが、その時は、できた自分とできない自分に一喜一憂していましたね(苦笑)

 

 

自我とエゴの違いは微細かも知れません。

なぜなら、自我と思っていたものがエゴだったりすることや、自我自体がよくわからない、ということもあるからです。

 

私の感覚としては、自我はお腹の底から湧き上がってくるもの。エゴは頭から降りてくるもの。そんなイメージです。

 

 

そして、最終的に思うところは、

エゴも自我もなくなったら、赤ちゃんのように、幸せな存在になれるのかなあということ。

 

時が過ぎ行き、生を全うする時に、赤ちゃんに戻れていたらいいな。

 

om shanti