也寸子です。
みなさまにご迷惑をおかけしつつも、ご理解ご協力いただきましたおかけで、ゆっくりと母の最期に立ち会い、看取ることができました。関わってくださったみなさま、本当にありがとうございました。
ヨガインストラクターを志し、ティーチャートレーニングを受け、今に至りますが、
当時のトレーンングにも様々なカリキュラムがありました。
ポーズだけではなく、解剖学、呼吸法、アーユルヴェーダ 、ヨガ哲学、などの項目がありました。
その頃は、ヨガはポーズをとるものと思っていましたので、座学はよくわからず、退屈だなあ、なんて思ったこともありました。
そんな中、ヨガ哲学の時間に講師に言われた言葉が忘れられません。
「あなたは、もう、そのままで、完全で完璧なのです!」
「は???私、全然、ダメダメだし。何言ってるんだろう?」
と頭に❓が飛び交っていたのを今でも鮮明に思い出します。
私たちはつい、自分に何か足りないと思い、それを補おうとして努力したりします。
しかし、私たちはすでに、生まれ持った優しさや慈しみを持っています。
家族や友人や大切な人が、病気で寝込んでいたり、つらそうにしていたり、落ち込んでいたり、悲しんでいたりする時、何かできないだろうかと皆、考えます。
そんな気持ちは、誰かに教えてもらったのではなくとも、自然に湧き上がってきます。
母が、もう動くこともできず、話をすることもできず、ただ息をしているだけの時、
私には声をかけ、手を当てることしかできませんでしたが、そんな中、
もう本当に、そこに居てくれるだけでいい、と何度思ったでしょう。
ご飯を作ってくれるから、とか
話を聞いてくれるから、とか
そんなことではなく、ただただ在るということだけでいいのです。
…
何かを成し遂げなくてもいいのです。
認められようとしなくてもいいのです。
あなたが、そこに、ただ在るということが尊いのです。
何かが足りないと思わなくていい。
何かが足りないと悲しまなくていい。
みんな、そのままで、完全で完璧。
母が息を引き取った時、全てから解放され、真の自由を得たのだと感じました。
ヨガでは「手放しましょう」とよく伝えられます。
全てを手放した時に、真の自由や安らぎがあるのだということを、母から教えてもらいました。
今は安らかに眠るというより、涅槃で笑って楽しく過ごしているんじゃないかな。
…
生死は、至高の重みをもつもの
時はたちまちにすぎ去り、機会は失われる
目覚めよ
目覚めよ…
人生を無駄にするなかれ
禅の夜の詠唱(「死にゆく人と共にあること マインドフルネスによる終末期ケア」ジョアン・ハリファックス著より)
om shanti🤍