プラティパクシャ・バーヴァナ(反対から物事を見る)とコンパッション(慈悲心・思いやり)

ヨガには逆転のポーズがあります。頭が心臓より下になるポーズです。アドムカシュバナーサナ(ダウンドッグ・下向きの犬のポーズ)をはじめシルシャーサナ(頭で立つポーズ)などです。

 

ヨガのティーチャートレーニングの時に、逆転のポーズの意味として、「反対から物事を見なさい」と教わりました。

ネガティブな考えが浮かんだ場合は、反対のコンセプトを持つ事で乗り越えなさいと。

何か、自分の目の前で起きている全ての事を乗り越えるために、見方を変えなさいと。

 

この時の教えてもらった言葉が「プラティパクシャ・バーヴァナ」。ヨーガスートラ第2章33節と当時のノートにメモがありました。

 

私がヨーガの学びを確認する時にいつも使っている「ヨーガ根本経典」(佐保田鶴治)を確認すると、こう書いてありました。

 

「もしも、戒に背こうとする妄想が起きて、戒の実行の妨げとなるようならば、その妄想に対抗する念想をなすがよい。」(第2章33節)

 

ここで言われる妄想とは、「あいつの財産を横領しよう」とか、「だましてやろう」とか、「あいつは不都合な奴だから殺してしまおう」などといった考えをもつことである。と注訳があります。怖いですね。

 

よく、物事は表裏一体と言われます。長所は実は短所だったり、その逆だったり。その時の捉え方で如何様にも変わります。

 

私たちは、片側からしか物事を見ていないことが多いです。なぜなら、その見方にはバイアス(先入観や偏見)がかかっているからです。

 

どうすれば、反対側から物事を見ることができるのでしょう。

 

ヨーガ・スートラの続きにはこう書かれています。

「暴力等の妄想には(略)区別があるが、すべて苦と無知とを際限なくもたらすものである、ということを念想するのが妄想に対抗する方法である」(第2章34節)

 

この妄想に対抗する有効な念想が、コンパッション(慈悲心・思いやり)です。

何か、困っている人がいたり、悲しんでいる人がいたりした時、私たちは手を差し伸べたいと思います。誰もが持っている気持ちです。しかし、そこには落とし穴があります。

一度立ち止まって冷静に、その差し出した手が、相手の未来にとって役に立つのかどうかを洞察します。本当に自分が成すべきことは何なのかを考えます。

この時、自分に問います

「これは本当に相手のため?もしかして自分を満たすためなのでは?」

 

相手の事を思っているつもりで、結局は自分の欲求を満たそうとしていることは、よくある事です。その落とし穴にはまらないためにも、プラティパクシャ・バーヴァナ(反対から物事を見る)とコンパッション(慈悲心・思いやり)を培っていきたいものです。

 

ヨーガ・スートラの続きには、こう書かれていました。

「非暴力の戒行に徹したならば、その人のそばですべてのものが敵意を捨てる」(第2章35節)

「正直の戒行に徹するならば、その人は行為とその結果との拠り所となる」(第2章36節)

「不盗の戒行に徹したならば、求めずしてあらゆる地方の珠玉(真珠や宝石)が彼のところへ集まる」(第2章37節)

 

こんな話もサットサンガ でしていきたいですね。

 

今日もどうぞよい一日でありますように🙏

 

ヤスコ