ヤスコです。
気の向くままに書いている「ヨガの八支則」シリーズです。
私は、ホームページの更新は、パソコンを使用しています。
今までは特に気にしていなかったのですが、最近なぜがパソコン仕事がツライ…。
そこで、ついに老眼鏡デビュー🤓
生まれてから、ずっと裸眼でしたので、メガネはかけたくないというコダワリ。(=エゴ)
しかも、老眼鏡というネーミングに抵抗し続けていました。(今は老眼鏡と言わず、シニアグラスと言うそうです!)
でも、メガネをかけてみたら、
目を凝らさずに済む → 前のめりにならない → 肩凝り改善😆
無駄な抵抗はせずに、もっと早くに使用すれば良かったです。(=エゴの手放し)
自分のコダワリに拘っていると、字のごとく、拘束されて身動きがとれなくなってしまいます。でも、そのコダワリを手放すと自由になれますね。
しかし、それがなかなかに難しいのです。
なぜなら、「コダワリ=自分」と思っているからです。だからコダワリが無くなると、自分でなくなってしまうようで、何だかコワイのです。本当はそんなことはなくて、ちゃんと真我は存在しているのに。
これは「無知」ですね。無知はすべての苦悩の原因と言われています。
無知の状態から目覚めた状態にするために、心の作用を止滅する必要があるのです。これについては、前回のヨガの八支則 考察その4に書かせていただきました。
ヨガの最終目標は、サマーディ(三昧)です。
サマーディとは、「主観の存在が忘れられて、客体だけが意識の野を占領する状態。(中略)三昧は五官の働きを介せずに純粋な思考だけで得られた直感」(ヨーガ根本経典より抜粋)
とあります。
サマーディにあんまり興味がないという方も、ヨガを長く続けていくと、自然とサマーディの方向へ向かって行きます。
「私はどうありたいのか」
集中が研ぎ澄まされ、瞑想状態が長く続くと、直感的に答えが向こうからやってきます。
なんだかよく分からないですよね。私もそうでしたし、今でもワカラナイことだらけです。
それでも、最終ゴールを知ることはヨガを続ける上で必要だなあと感じ、今回はサマーディの教えを紹介させていただきました。
ヨガのプラクティスを通じて、ヨガの最終目的にみなさんとご一緒に少しでも近づいていけたらなあと思っています。
om shanti♡
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