也寸子です
ご存知の方もいらっしゃいますが、今、実母が終末期を迎えています。
母は、入退院を繰り返しながらも、現在は住み慣れた自宅で過ごしています。
私は、高尾の自宅と小金井市の実家を行き来しつつ、父や兄と共に介護のお手伝いをしています。
今、起きている出来事は、リアル。
でも、
いったん実家を離れ、自宅に帰ると、そこには、いつもどおりの日常があり、夢と現実を行き来しているような不思議な感覚に陥ります。
私は25年くらい前に、肺がんの叔母を自宅で介護していた経験があります。
当時は、まだ介護保険が始まったばかりで、在宅介護の体制は皆無な状態。診てくれる医師や看護師もほとんどいませんでした。
子供も小さく、私もフルタイムで勤務していたため、本当に大変でした。若さで乗り切った感じですね。
現在は、在宅医療の医師や、在宅看護の看護師・理学療法士、ケアマネージャー、薬局の方々の献身的なサポートがあります。
今の充実した状況は、本当に有り難いと感謝するばかりです。
と同時に、以前叔母を介護した時の経験が生かされているところもあり、何事も経験で、無駄なことなど何一つないのだと実感しています。
今、実家では、
母が寒そうにしていれば、湯たんぽを作り、
甘いものが食べたいと言えば、アイスクリームを口に含ませたりしています。
多くの言葉は交わせなくとも、心が通じ合い、お互いに微笑みを交わすことができた時、すべてが帳消しとなり、幸せに満たされます。
病院では、こうはいかなかったでしょう。
自宅に帰れて、本当に良かった!
それでも、
身の置きどころのない痛み、予想外の出来事が起きます。
不安な時には、何時間でも手を握り、そして、私はお手当てをします。
和のお手当ては、4年前に初めて講習を受けて本格的に始めました。
きっかけは母の持病の悪化。
足が痛く、触れるものままならない状態に苦しんでいました。
そんな時、ふと、母がホスピス病棟でボランティアをしていた頃に話してくれたことを思い出したのです。
「終末期の方々は、身体中が痛くて、揉んだりさすったりされるのも辛いのよ。ただ触れるだけがいいの」
心に残っていたこの言葉に誘われるように、和のお手当てを始めました。
和のお手当ては、ただ触れているだけで身体が緩み、楽になれる手技です。
タイミングよく、講習会があったので、参加し、そこから私のお手当て人生が始まりました。
痛みや、辛さ、病気に対する怒り、そして、不安や悲嘆でギューっとしている身体を、そぉ〜っと触れると、まるで氷が溶けるように緩み、しかめていた顔も穏やかになれたりするのです。
ああ!本当にお手当てを学んでいてい良かった!
お手当てがなければ、ただ傍にいるだけしかできず(それだけでも充分なのですが)、こういった状況でも、自分で何かしてあげることができるというのは、私自身の救いになっています。
今、死ぬということを、体現してくれている母。
その生き様を、私は誇らしく思います。
そして、私もこんな風にありたいと思うと同時に、この学びを伝えなければいけないと思っています。
私たちは、つい、「死」は特別なものと捉えてしまいますが、「死」は非日常ではなく、日常の延長線上にあるものなのです。
「死」や「介護」や「看取り」について、目を背けずに向き合える場を、これから作りたいと願っています。
スタジオを通じて、少しづつコミュニティを広げ、人生の質を上げ、悔いのない最期を迎えることができるようにしたい。そんな思いと決意が沸沸と湧き上がっています。
具体的になってきたら、お知らせをいたします。
みなさま、今日も残された時間を大切に
どうぞ穏やかな一日をお過ごしください
※写真は、今読み返してる本達です
om shanti